おとぶろラグビー夜話

ラグビーに関するあれやこれや。

タグ:日本代表

帰化して「日本人」になった元オールブラックス、ロス・アイザック。帰化前の名前は「アイザック・ロス」。両親が元ニュージーランド代表というまさにラグビーのサラブレッド。201㎝。
ロスアイザック2












トップリーグには多くのこうした「帰化選手」が在籍する。
W杯代表でいえば、ヴァル・中島・具・トンプソン・リーチ・ヘル・ツイ・ラファエレ・レメキ等など。当然彼らはトップリーグで「日本人」として常時出場できる。
ロスもこれからは所属する「NTTコミュニケーション」で「外国人枠」ではなく常時出場できるのだな。
ロスの、あの、でかくて、時にSHのように俊敏なプレイがこれからは常時見られるのは楽しみ。
と思っていたのだがそうではないようだ。


トップリーグの「外国人枠」は外国人とは限らない?

第3節のクボタ戦。ロスは後半途中から出場。同時にオーストラリア代表・リアリーファノが退出。これについて「BS日テレ」解説の大畑氏、
「外国人枠の都合ですね」。
ええ〜それって変じゃん。ロスは日本人なのに。大畑、わかってないのか〜。
と思ったが、考えてみる。
この「他国の代表歴のある外国人枠2人」って正確には「日本代表にはなれない選手」てことなわけだ。ロスの場合日本人になってもNZ代表歴がある以上、国際ルールで日本代表にはなれない。
てことはあくまで「外国人枠」として扱うということなのか。日本人であっても。

「トップリーグ規約」見たら確かにその通りだった。(資料参照)

ロスは2017年に日本国籍を取得しているが、私がこれまでこの問題、気にならなかったのは、去年Nコムには他に「他国の代表歴のある外国人」がいなかったからなのだな。その前年には南ア代表のヤンチースがいたがロスと合わせて二人。「枠」を超えようがなかった。ロスはほぼ先発出場していたと思う。
今年、リアリーファノと南ア代表マークスがNコムに加入して、この「枠」該当選手が3人になり「やりくり」が生じたというわけだ。

「トップリーグの出場資格」って、日本人のロスにとってはは意味不明だ
ロスが日本代表になれないのは「国際ルール」である。これには合理的理由がある。もちろん日本独自で変更などできない。
だが、「トップリーグの出場資格」はトップリーグで決められる規則。
ロスは「日本人で常時出場可」でいいのではないか。
と思ったら、規約では「但し」がついて、「2016年8月31日以前に」この枠にいた選手は「日本国籍選手として試合に出場することができる」のだそうだ。(資料
参照)
ヒーナン・ダニエルこの「2016年規定」に該当する選手としてはオーストラリア代表歴のあるヒーナン・ダニエルがいる。ヒーナンは2014年に日本国籍取得。パナソニックで「文句なし」日本人枠で出場している。
さてこの「2016年規定」、「日本国籍取得後、例えば3年で他国代表歴のある選手もトップリーグで日本人枠で出場できる」と言う意味なのだろうか。ロスの帰化は2017年。来年度にはこの規定が改定されて「2017年」になればロスも晴れて「日本人枠」で出場できるということなのか。

この辺なかなか細かい。そもそも日本人になったのならソク「日本人枠」でいいではないか。まあシーズン中ではややこしいのでせめて翌年から、で。
この該当者が何十人もいて「日本代表資格者」の出場枠が減ると言うならこの規制も必要かもしれない。ただこの場合も、「外国籍選手枠」などというべきではない。「外国籍」などではないのだから。「他国代表歴選手枠」というべきだろう。(注1)
ともかくこの「2016年規定」、ロスだけに適用されるものだ。日本を愛し、日本国籍を取得し、家族とともに日本に居住し、子供たちを日本の小学校に通わせる「日本人ラガー」を「外国人扱い」する理由ってあるのか。

〈追記1〉
ロスのごく親しい友人から連絡をいただいた。(下記コメント欄の方)その方によると、「2016年規定」は固定であり更新されることはないのだという。つまり他国代表歴があり日本人になってもトップリーグで「日本人枠」で出場できるのはヒーナンで「締め切り」ということだ。(もう一人、元トンガ代表、神戸のアンダーソン・フレイザーも)
もちろんこんなことはどこにも「明文化」されてなどいない。あくまで「内部情報」。確認のしよいうもない。来年度の規約が公表されればわかるか。


ロスアイザック2「元オールブラックス日本人」の活躍が見たい
日本では外国人が結婚や血縁によらず日本国籍取得するのって大変なのだ。
「出場枠」や「就職」目当ての「打算的帰化」など日本では認めない。従前の国籍を保持しつつ新たに国籍を得る「二重国籍」は多くの「先進国」で認められるが日本ではダメ。犯罪歴があったり、税の滞納があったり、その他素行不良が認められればダメ。
「日本語力」も含め「日本国籍取得」には「本当に日本人になる資格・覚悟があるのか」が法務省により審査される。(注2)


ロスや「ボーク・コリン雷神(注3)」、そして上記「帰化選手」達は、はこういう「厳しい日本人テストに合格」したってわけだ。完全な日本人。
その「日本人」にトップリーグでこれ以上の「枠・規制」はいらんよなあ。
まして「他国代表歴」を持って来日、帰化条件である5年以上居住した選手といえば、まあ年齢は30歳前後。選手としては晩年に当たる。残る数年の選手生活を、愛する日本で日本のためにトップリーグでプレイする。もちろん彼のプレイ・経験は敵味方問わず他のトップリーガーや学生・子供達の素晴らしいお手本となる。そこにブレーキかける意味ってあるのか。
「元オールブラックス日本人」の活躍は常時見たい!

〈追記2〉
ある方がこの記事を見て自らのFacebookでシェアしたところ、その「パパ友」であるロスの目に止まり、その方が日本語に翻訳してロスに見せたという。ロス、この記事を大いに気に入ってくれてた上、自らのSNSでシェア。このことはラグビー関係者にもほとんど知られていないので、まずぜひみんなに知って欲しいのだそうだ。
そのシェアをまた別のロスの友人が見て私に連絡をくれた。
「2016年規定」についてはその方からの情報。
というわけで、この記事、改めて、「拡散希望」です。
もちろん「私のため」などではなく、「ロスのため」、「現在・将来日本でプレイする来日ラガーのため」、「日本のラグビー界全体のため」、さらには「日本社会の幸福のため」、です。


《補足1》世間の一部ではこうした人々を、決して「日本人」とは呼ばず、「日本国籍を取得した外国人」みたいな表現が使われたりする。これ、言葉として間違ってる。「日本国籍を取得した人」は「日本人」。逆に米国籍ノーベル物理学賞の南部陽一郎氏は「米国人」。
「先住国民」と「帰化国民」を区別したいなら「〜系」を使えば良い。南部陽一郎氏は「日系米国人」。ロス・アイザックは「NZ系日本人」。


(注1)ボーク・コリン雷神の「7人制でNZ代表歴」の扱いについてはここでは触れない)

(注2)以前Jリーグ川崎フロンターレにジュニーニョというブラジル人ストライカーがいた。
W杯南ア大会前に「日本に帰化して日本代表に貢献する」と宣言してサポーターを沸かせたが「日本国籍取得」は叶わなかった。この時点で日本に5年は居住していたが日本語がほぼダメだったためだという。そもそも親善試合とはいえ「ブラジル代表歴」があったため「日本代表」にはなれなかったとの説もあるが、ロス・アイザックなど、日本代表になれなくても日本人になるという「日本愛」があったが、ジュニーニョにはそんなものはなく単に「どこでもいいからW杯に出たい」という「打算的場当たり帰化申請」であったと言われてもしょうがないだろう。
日本サッカー協会からの「特例要請」もあったかもしれないが、先述したように日本国はこういう特例「帰化申請」は認めない。

(注3)ラグビー界では帰化すると登録名も実名に伴い「名姓」から「姓名」に変わる。
さらには本人の希望で漢字名が添えられたりする。この旧「コリン・ボーク」は「ボーク・コリン雷神」に。今回の代表プロップは「ヴァル・アサエリ愛」その他「カウヘンガ桜エモシ」とか「ロトアヘア・ポヒバ大和」とか弟の「ロトアヘア・アマナキ大洋」とか。ただしこれ、ヴァル以外はみんなリコーの選手。誰が流行らせたんだか。まあ日本人になったからには漢字使いたいんだろうな。

【資料】トップリーグ規約
第35条
4.日本代表選手の資格がない日本国籍選手及び特別永住権を保有する選手の扱い
他国代表歴及び他国セカンドシニア代表歴を有する日本代表選手の資格がない日本国籍選手及び特別永住権を保有する選手は、代表歴を有する国の選手と同様に外国籍枠選手、アジア枠選手として出場する。また、5 月末及び 11 月末に日本国籍選手として登録した選手が、登録日以降に他国代表歴及び他国セカンドシニア代表歴を有した場合、そのシーズンは日本国籍選手として出場することができるが、翌シーズンは代表歴を有する国の選手と同様に外国籍枠選手、アジア枠選手として出場することになる。但し、2016 年8 月 31 日以前に、他国の代表歴及び他国のセカンドシニア代表歴を有し、日本国籍選手として登録した選手は、日本国籍選手として試合に出場することができる。

《補足2》ただこの規約、なかなかわかりにくい。最後の「但し」部分の日付がどの文にかかるのか。私の解釈が間違っているのならご指摘いただきたい。
《補足3》


上記規約は
https://www.top-league.jp/wp-content/uploads/2019/05/kiyaku_2019.pdf
ただ「トップリーグ公式サイト」の「規約」にはこの「35条4」が見当たらない。

http://archive.top-league.jp/about/kiyaku/2012/a/03.html
そもそも「強豪国代表歴のある選手が日本人になる」などと規定作成時に想定もしていなかったのだろう。
「ヒーナンのせい」で慌ててこの規定を追加したか。で、追加したものの、このサイトの「改正作業」をしていないものと思われる。
この辺りでもこの「規約」の「場当たり的いい加減さ」がうかがわれる。

〈追記3〉
その後ロスや多くのファンはトップリーグ日本協会に規約の改定を求めたが認められず、「外国人」との名称は見直す、だけとなった。ロスはNコムを退団。NZでプレイを続けている。
「いつか必ず日本に帰ってきます。私のホームですから。」

日本ラグビーは「平幕」なのか

「金星」「大金星」と大騒ぎだ。本当に「金星」なのか。
そもそも「金星」は相撲用語。「平幕力士が横綱に勝つこと」とある。
日本ラグビーは「平幕」なのか。

アイルランド戦











2015年W杯、「ブライトンの奇跡」以来の日本代表のテストマッチを振り返ってみる。(対アジアは除く)
手元の集計では先日のロシア戦まで28試合。14勝13敗1引き分け。このうち「ティア1」10カ国との勝敗は2勝12敗1分け。あの南ア戦のほか。イタリアに勝ち、フランスと引き分けている。
「テイア2」とは13戦全勝。
で、「番付」をどう見るか、だ。
「ティア2」を平幕と見れば、対平幕全勝。前頭筆頭以上の番付けと見て問題あるまい。小結と言えるか。
対「ティア1」、2勝12敗1分けはちと寂しい。
が、この中には大横綱南アの1勝がある。さらに点差はつけられたとはいえ、対NZで5トライを奪ったという実績もある、これは「ティア1」の国でもなかなか取れるトライ数ではない。
私としてはこうした実績から「日本小結」としたいところだ。がここは控えめに「前頭筆頭」としておこう。

ではアイルランドは「横綱」か。

確かに直前のランキングは1位。現在は2位。優勝候補の一角である強豪である事は間違いない。
だがランキングと番付は違う。これは相撲も同様だ。相撲にランキングはないが「横綱」は直前の成績に関係なく長年の実績がものをいう。しかも「陥落」はない。
こうしてみるとラグビー界の「横綱」といえばNZ・南ア・オーストラリアの3横綱で文句はないだろう。
優勝回数はNZ3回、南ア・オーストラリア2回ずつ。
イングランドは優勝があるが準優勝なし、前回自国開催時はプール戦敗退、これでは「横綱」とは言えない。

さてアイルランド。
W杯ベスト8が6回。それ以上の成績はなし。もちろん優勝は無い。「横綱」など程遠い。
相撲の世界でもあの北尾「双羽黒」は優勝なしで横綱、優勝なしで引退したが、それをここで持ち出してももちろん意味は無い。
最近のランキングを加味してもアイルランドは「大関」が精一杯。「関脇」が順当なところではないか。
つまり今回の結果、日本がアイルランドを破ったのは、前頭筆頭力士が関脇を、せいぜいが大関を破ったというところだ。「殊勲賞」モノ、番狂わせではあるが「金星」などでは決してない。
もちろん「言葉」というもの、特に他ジャンルからの借用の場合厳密すぎる必要はないだろう。例えば相手が「大関」であっても、これを「平幕下位」の力士が破れば他ジャンルの場合メデイアが「金星」と呼んでも目くじら立てるつもりはない。
だが今回の場合明らかな「幕内筆頭」力士がせいぜい「大関」を破ったということだ。これは絶対に「金星」などではない。

「金星」をあげるには」「弱者」でなければならない

私はもちろん今回の勝利にケチをつけているのではない。
「真逆」である。
つまり「金星」などと言われるのは勝者が、地力も実績も、時には将来性ももない「弱者」の場合に「のみ」使われる言葉である、ということだ。
ラグビーには「番狂わせ」は基本無い。絶対的「弱者」が「強者」を倒す事は無い、という事だ。
4年前、「横綱」南アに勝った。この時の日本は間違いなく「平幕」、この勝利は文句なしの「金星」と言える。 が、その後対「ティア2」全勝、NZから5トライを奪う日本が「絶対的弱者」に当てはまるか。断じて違う。と言い切れるだろう。
地力があり実績を積み将来性のある「新鋭」が大関を破った。
それだけのことなのだ。

この試合、日本は結構「不運」だった
もう一つ。「金星」という言葉が持つ「両者の地力の差」という概念を考えると、どうしても「弱者に運が味方した」感がつきまとう。この試合の日本は幸運だったのか。
いや、むしろ不運だった。
前半3分、ラファエレのインゴールへのゴロパント。
松島が追う。絶妙のバウンドで転がる。蹴ったラファエレも追う松島も、そして観戦する我々も、少しでもラグビーボールと関わったことがある者なら全員思ったはずだ。
松島が追いついた瞬間、ボールがポーンと跳ね上がって松島に収まる、と。
ところがその瞬間、ボールは下に、コースも遅れてきたアイルランド選手側に。
このプレイが「普通に」トライになっていたら試合はさらに有利に展開していたとも思える。大差がついていたかも。
選手起用も不運だった。J.ジョセフが絶大な信頼を置くトゥポウが直前に離脱、開始早々には「切り札」マフィも負傷離脱。ゲームプランはすっかり狂った。不運だった。
しかし勝った。
(アイルランドもセクストンを欠くという「不運」はあったがここでのテーマは「金星」なので「格上」の事情は省く。)

「金星」報道は誤用である。

地力の差も「横綱と平幕」では無い。運も味方していない。
よって私は「金星」報道は誤用であると断言しておく。

つまり今回の「金星報道」、日本ラグビーが「弱小国」であることを前提に書かれているのだ。まあ「頭の固い」海外「ラグビー先進国」のメデイアがいつまでたってもどれだけ実績を積んでも日本を「弱小国扱い」するのはまあいい。「シズオカの奇跡」などと呼ぶのも楽しい。
しかし日本のメデイアまでが、いや日本の一般ファンまでがいつまでも日本を「弱小国」として感じ、「大金星」などと大喜びするのはいかがなモノか、と私は思う。
これでは選手が報われない。
リーチキャプテンが言っているように選手・スタッフは常に勝つつもりで、つまりはいかなる相手にも「互角・対等」であると信じているからこその、そしてそう信じるに足る確かな裏付けがあってこその今回の勝利だったのだ。
選手の「意識・現実」とファン・メデイアの「意識」との乖離。

「平幕優勝」への期待

さて次の楽しみは平幕日本がどこまで勝ち進むか、だな。
勝ち進めば当然「真の3横綱」とどこかで、あるいは複数回当たるだろう。これを平幕日本が倒せばこの時こそ「金星」だ。
そして待っているのは、相撲界ではまれにある「平幕優勝」。
この、ラグビー史上初の「平幕優勝」の快挙を日本が成し遂げるか、がこの大会の今後の最大の楽しみであるということだ。
ファンたる者、このくらいの事を語らないでどうする。

昭和49年。
秩父宮ラグビー場はこの前年よりスタンドの改修工事が始まっていた。だが解体は終了したものの、翌年以降「予算が付かなかった」とかで工事は中断。この事態は大学ラグビーの人気カードや日本選手権などが国立競技場で開催されるきっかけともなる。
「人気カード」以外は大学の練習グラウンドで公式戦が行われた。横浜の三ツ沢競技場も使われた。八幡山、東伏見、三ツ沢にはよく通ったものだ。当時私は受験生。何やってんだか。


一方、秩父宮はスタンドもフェンスも管理人もないまま放置されていた。

そんな中、当時高3だった私はしばしば授業をさぼって、ぶらりと秩父宮を訪れ、当時珍しかった芝のグラウンドを楽しんでいた。時に昼寝をし、時にボールを持ちこみゴールキックの練習などしていたものだ。
その日も秩父宮に入る。いつもと違い人の気配が。みんなジャージ姿だ。
ああどっかのチームが練習場として利用しているのだな。
と見ると、あ、あれは宿沢、あれは寺井、やや村田も横井もいる。植山、森、原、小笠原、石塚も。
「全日本の練習だ!」
もちろんスマホもカメラ付きガラケーもない時代。
翌日は小学生の時買ってもらった「オリンパスペン」を引っ提げてラグビー部の友人も誘って再訪。
いやまてよ、その日のうちに家にオリンパスペン取りに行った気もする。う~ん、思い出せない。
(注・当時は他の競技も含め、「日本代表」とは言わず「全日本」とよんでいた。)

この記事ではこの時の写真13枚を45年目にして初公開。合わせて当時の日本代表を振り返ってみる。

ただし例によって全て現在の私の記憶に基づく。検索・事実確認など一切しないので間違い・思い違いもありうることをお断りしておく。(ただ名前の間違いは失礼にあたるので伊藤忠ユキ氏・石塚武オ氏については確認の上それぞれ、忠幸氏、武生氏と記した)
登場する選手達は当然すでに現役を引退し、他界された方もいる。もちろん私よりも「先輩」であり、お名前には「敬称」をつけるのが礼儀と言うものだろう。だがここではあえて当時の私のあこがれと敬意をこめて「呼び捨て」とさせていただく。

この時期、翌年にウェールズ来日を控えての合宿だったのではないか。皆、神宮球場方面から歩いて秩父宮に来ていた。日本青年館あたりが宿舎だったか。
この日、コーチ・監督などはいなかった。選手たちの自主練習だったか。
いやこの合宿、その後も何日か行ったが監督コーチは見た覚えがない。当時は専従監督もいない時代。夜のミーティングと日曜ぐらいしか出なかったのだろうか。当時の監督が誰だったかも思い出せない。日比野弘氏あたりかな。
メディアの姿も一度もみなかった。

秩父宮5














前から坂田(近鉄)、伊藤忠幸(リコー)、そしてキャプテン横井章(三菱自工京都)。
(2番目はもしかして違うかも)
これFWの練習。仮想ラックに突っ込む。これ私らもやっていたが、今思えば実戦には結びつかない練習。現在は絶滅した練習だろう。
だがバックス3人の重鎮が楽しそうにかつ真剣に取り組む姿勢がうれしい。
下の写真がこの後の図。メンバーは違うが。

秩父宮4












左から原進(近鉄)ひとりおいて寺井(新日鉄八幡)小笠原(近鉄)。FWの重鎮3人。
原は後のプロレスラー「阿修羅・原」リングネームの名付け親は作家野坂昭如氏。当時中年すぎてラグビーを始めて話題になっていた。原は1・3をこなすプロップ。体重は80㎏そこそこだが、当時の日本のプロップは皆そんなものだった。プロレスラーになり100㎏を越えた原は「この増量ノウハウをラグビー界に伝えたい」と語っている。どこかの世界選抜に日本人として唯一№8として出場した。原が着ているのはフランスの代表ユニフォーム。前年の英仏遠征でのフランス戦でジャージ交換したものだろう。
寺井は日本ラグビー界待望の190㎝越えのロック。ただし寺井引退後は190㎝代のFWはしばらく途絶える。
小笠原もロック184㎝。これでも当時大きい方だった。大学ラグビーなどでは170㎝代のロックも珍しくなかった時代。当然豪快なプレイが持ち味だったが、2・3人吹き飛ばした後、周りを見てパスコースを探すような「余裕の技巧派」でもあった。引退後は母校弘前実業でラグビーを教えていた。ただし本人がラグビーを始めたのは高卒後の自衛隊だったような。(元祖福坪?)
ロックでは、この日はいなかったが、当時リーグ戦2部だった東海大の袋舘龍太郎がいた。スロワーの石塚と二人で来てラインアウトの練習を繰り返していた。
秩父宮12
№8村田義弘(リコー)
寺井に次ぐ長身185㎝。ただし今から見るとかなり細身だった。
日本選手権でのトライ後のガッツポーズは当時のラグビー界では異例だった。あんまりかっこよくて同じ№8だった私はトライ後そのポーズを真似したものだ。
ちなみに写真の右側は私。

№8といえば当時東洋大に佐藤肇という選手がいた。デカい体でランもキックもパスもこなし、決して強豪ではなかった東洋大を、攻守とも一人で牽引していた。ペナルティ時のタッチキックなども彼が蹴っていた。ゴールキックも蹴っていた気もするがこれは確かではない。
とにかく大学生の中に一人Nコムのブリッツあたりがいる感じ。異次元の存在だった。これは将来の日本代表の主力を担う才能だ、と思ったものだ。学生代表にも早慶明選手ばかりの中で一人選ばれていた。
だがその後の活躍を私は知らない。
「消えた天才」か。
秩父宮7














左からロック柴田(東京サンヨー)、小笠原、ウィング金指(早稲田)、原、プロップ黒坂。
うーん、金指と黒坂は自信がない。(追記・黒坂はフッカーとの有力情報がありました)
柴田も184㎝ぐらいだったと思う。
背景はメインスタンド側だが、ただの土手。改修中はこんなだった。
秩父宮11
















言わずと知れた宿沢広朗と寺井。
一番の長身と短身二人を呼びつけてポーズを取ってもらった。
今思うと冷や汗モノ。
宿沢はこの時大学卒業後かな。
早稲田卒業後はチームには属さず銀行マンに。たぶんこのウェールズ来日ぐらいでプレイヤーとしては引退したのではないか。後に代表監督。
この黒地に白のアニメジャージは野坂昭如氏主宰のアドリブクラブのユニフォーム。さすがクリエイターたちが集まったクラブ。デザインセンスが違う。
秩父宮14












手前の縞ジャージは明治のキャプテン、プロップ高田司か。
一番右は早稲田の3年石塚武生。
4年でキャプテン。後にリコー。
小柄なフランカーの代名詞。170㎝だったか。
この翌年来日したウェールズにぼろ負けした中で、ウェールズのウィング、100m10秒6のウェールズ記録を持つJ.J.ウィリアムスが独走態勢に入るが、フランカーのバックアップコースを忠実に「カニ走り」して猛タックルで止めたシーンは今も目に焼き付いている。
秩父宮10













宿沢のパスを受けるFB植山信幸。早稲田の4年。日本で初めてプレースキックにインステップキックを持ち込んだ。ハーフウェイからのゴールは時にスクリューキックとなりゴールに吸い込まれ、観衆の度肝を抜いた。
インステップキックを見慣れていない我々はそういうものかと思ったものだが、これ以降あんなボールの回転は見たことがない。

宿沢のパスにも注目。
現在はショートパス以外は基本スクリューだが当時はボールを無回転で相手に届けるのが「正しいパス」とされた時代。入部するとまずこのパスができるようになるまで練習した。
ただこのころからぼちぼちスクリューパスが導入され、ビッグゲームでボールボーイがスクリューパスでボールを返却したりすると会場がどよめいたものだ。

写真ではSHは宿沢しか見当たらないが別の日には今里(近鉄)と松尾雄治(明治→釜石)の姿もあった。
あの松尾は当時SHだったのだ。スタンドオフになったのは釜石入ってからか。(追記。この時松尾2年。翌年にSO転向との有力情報がありました。)
SHとしての松尾は当時から「天才」とは言われたものの必ずしも評価は高くなかったと思う。なにしろ今里・宿沢のような従来のSHのイメージとは違いすぎた。
当時のSHはとにかくよく飛んだ。現在のように密集(ブレイクダウンなんて言葉は当時なかった。)周辺のSHがルールで守られていなかったというのもあるし、スクリューパスがなかった時代、小柄なハーフが「伸びのあるパス」を投げようと思えば飛ぶしかなかったというのも理由だろう。また「飛ぶ」という気合の入ったプレイで見方を鼓舞するという意味もあったかもしれない。
そんな時代、松尾はほとんど飛ばなかった。すでにスクリューパスをマスターしていたし、何より判断力と読みが売り物だった松尾にとって「飛べば次の動きが遅れる」ぐらいの気持ちだったのだと思う。(宿沢も判断力と読みが売りではあったが。)
そんな松尾だが、ここでのパスの反復練習中、誰かに「飛べ!」と声をかけられて最後の一本だけいやいや飛んでいたのを覚えている。
少なくとも当時の日本では彼の「天才」を生かすにはスタンドオフへの転向は大正解だった。

秩父宮6














手前、宿沢の隣は有賀健(日体大)。サントリーの有賀剛の父親。日本のスポーツ界では珍しい「父子二代の名選手」。
ちなみに有賀健の日川高校の同級生にはプロレスのジャンボ鶴田、サッカー日本代表の清雲がいたという。
秩父宮3














中央が藤原優。日川高校時代に代表に呼ばれる。174㎝(?)70㎏代の体格は当時のバックスとしては「巨体」だった。ウィングとセンターをこなす。
当時来日する外国チームにぼろ負けしていても、最後には藤原が1トライは決めて、ファンの留飲を下げさせてくれたものだ。
現在は絶対にありえないことだが当時は例えばケンブリッジ大が来日しても最終戦は「全日本」が対戦していた。国代表が他国を訪れた場合、現地の単独チームと対戦することはあるが、単独チームが他国を訪れて国代表と対戦するなど世界の常識外、だった。当時日本はそんなレベルだったという事だ。実力的にも国際常識的にも。

藤原の左は法政出のセンター吉田か。当時センターの12・13は現在の「インサイド・アウトサイド」ではなく「左・右」だった。「インサイドセンター」の概念を導入し、自ら実践したのは後の平尾誠二だと思う。
藤原の右、赤いジャージはリコーのフランカー6番井沢か。
フランカーの「6,7番」も現在のような「ブラインド、オープン」ではなく「左、右」だった。この時代の7番と言えばあの山口良治。後のスクールウォーズである。当時は京都市役所。代表のゴールキッカーも務めていた。このころはトウキック。この合宿では見かけなかったような。

秩父宮13
















左から、藤原、センター森重隆(明治→新日鉄釜石)現ラグビー協会会長、石塚。
森はまだヒゲを生やしていないか。170㎝に満たない、60㎏代は当時としては極端に小柄なわけではなかった。ただ外国に行くとセンターと言っても信じてもらえなかったとか。
彼をしのぐキレキレのステップと瞬時のスピードは未だ見たことがない。あ、福岡が匹敵するか。タイプは違うが。
(う〜ん。これ森じゃないかも。森にしては大きい気もする。果たして森に「ヒゲなし時代」があったのか、とも)

秩父宮8



















左は早稲田のスタンドオフ中村康司。宿沢と同期。
この日の写真にはないが、この時代のスタンドオフと言えば井口と蒲原。
蒲原は早稲田卒業後チームには所属せず「天理教本部」勤務だった。そんな形で代表を続けていた。
当時は選手交代は「負傷の時レフェリーが認めたときのみ2名まで」だったので、中村、代表での出番はほぼなかったと思う。

秩父宮9














これも中村と植山。


秩父宮15





この合宿最年少の藤原。ボールのかたずけは彼一人の仕事だったかも。もちろん革製紐編みボール。



この写真にはフッカーが一人も登場しない。時代的には大東和美(早大出)がいたはず。ただ彼もスタンドオフ蒲原、宿沢らと同様、卒業後はチームに所属しなかった。それでいて3人とも代表選出。まあのどかな時代ではある。3人とも早稲田。
大東は後にJリーグチェアマンになる。


この後、秩父宮の改修は無事終了するが、この間空前の「大学ラグビーブーム」となる。
国立競技場の早明戦は観衆6万を超え東京オリンピック以来の満員を記録する。当日現場の観客席にいた私はバックスタンドの聖火台の下、ゴール裏まで人で埋まるのを友人たちと呆然と見つめていた。いったい何が起こったのだ、って。
このため、秩父宮完成後も大学の人気カードはしばらく国立競技場でおこなわれることになる。
岸体育館内のラグビー協会で手に入った「学生部員券50円」も廃止された。















アマナキレレイマフィマフィの力量に疑いの余地はないが
アマナキ・レレイ・マフィの代表復帰が熱望されているようだ。私も彼の能力・代表における必要性について異論はない。なにしろスーパーラグビーのシーズンベスト15に選ばれた逸材である。
もちろん私も彼の「獰猛な」プレイは好きである。彼がボールを持てば「何かしてくれる」とワクワクさせられる。確かにデビュー当時のような、バッタバッタとディフェンスをなぎ倒して突進するようなプレイは見られなくなったが
、そりゃあマークが厳しくなればああはいかないだろう。

マフィリスクの存在

だがちょっと待って欲しい。去年問題となった暴行事件、そしてイングランド・バース時代にもこの手の問題を起こしていたのではないか。
(バースの件は私の検索力では確認が取れなかったが、「健康診断の順番で割り込みをして実質解雇になった」というクラブ側の公式発表がある」という。え、それだけで普通解雇になるか?)
去年トップリーグに復帰してからは2試合続けてイエローカードをくらっている。「謹慎明けの復帰戦において」である。どちらもアクシデンタルなものでも「レフェリーの解釈による不運なもの」でもなく、明らかに「マフィの意識的故意」によるものだった。
マフィとはそういう選手である、という事を明確に認識する必要があるだろう。
「勝ちたい、チームに貢献したい」という強い思いが時に空回りして「暴走」へのスイッチが入ってしまう選手であるという事。
つまりここで言っているのは「謹慎期間とその解除をどうするか」という問題ではない。マフィが所属するチームは常にこうしたリスクを伴うという認識だ。いわば「マフィ・リスク」の認識。
代表にしろNコムにしろ出場すれば攻守の中心となるマフィ。その彼が突然10分間の退出となる可能性が非常に大きいというリスク。実際Nコムは復帰戦で彼の退出中に逆転され大事な試合を落とした。
あるいは代表メンバーとして遠征や大会があってもその期間中に「事件」を起こして離脱してしまうかもしれないというリスク。
代表監督ジョセフは当然このリスクを考慮すると思われる。ファンも彼の選出を願うならそのリスクを覚悟しておくほうが良い。「もうあんなことはないだろう」というような楽観論を前提とするなら選出しないほうがいい。
「またしでかすかもしれない」という前提に立って、なお彼が必要だ、と言うならそれはそれでいいと思う。

「人格の問題」ではない

「人格に問題がある」との見方はとりたくない。「人格に問題がある」のなら私生活でも何か問題行動が起こされて当然である。だがそいそういう話は聞かない。彼が「問題」を起こすのは常にラグビーの世界においてのみ、である。
つまり先述したように、「勝ちたい、チームの勝利に貢献したい」との強い思いが「暴走」へのスイッチを入れてしまう、という「症状」が明確に見えてくる。

つまりマフィが選出されるのなら、今必要なのは謹慎でも、説教や教育で「自覚を促す」とかの精神論でもなく、専門家による「治療」であろう。
「勝ちたい」という強い思いが「暴走」へとつながる回路を断ち切る治療である。
Nコムでの復帰戦でイエローカード食らった時の彼の悲しそうな顔が忘れられない。
つまり彼は判っているのだ、こんなプレイ、こんな行動は絶対にしてはいけないと。それでも繰り返してしまう。
先日、元オリンピック代表の女子マラソン選手が「自分は万引き依存症である」との記者会見を開いていた。
彼女もそんなことしてはいけないとわかっている。してしまうと自分も回りも傷ついて迷惑かけて、いいことなど何もないことも。
彼女は現在精神医療の治療を受けていることも明かした。
その会見を見て私はマフィを思い起こしたのである。
ま、「治療」という言葉がきつかったら「トレーニング」でもいいんですが。




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