東西冷戦が終わって世界は恒久平和に向かうのかと思ったらとんでもなかった。冷戦後,世界各地の紛争で、常に中心にあったのは“民族問題”だ。
 冷戦直後から始まった旧ユーゴスラビアの内戦・虐殺、混迷を深める中東情勢、ルワンダの虐殺、南スーダンの内戦、ウクライナ紛争、そしてロヒンギャの迫害と虐殺、さらには異民族憎悪を煽るトランプ、などなど。
 一体、異民族憎悪は人類の本質的属性なのではないか、DNAに組み込まれているのではないかとすら考えたくもなる。
 しかし世界の一角に、こうした負の民族関係をあっさりクリアしてしまった社会があることを紹介したい。。異民族憎悪は決して人類の本質などではないのだ。
 ニュージーランドを舞台にした,まるでファンタジーのような本当の話。




 
ニュージーランド(NZ)の国歌を知ってますか

 ニュージーランドの国歌、といってもオリンピックとかで金メダルを量産するような国じゃないし、ほとんどの人は知らないでしょうね。私なんかはラグビーの国際試合でよく耳にするのだけど, 美しいメロディーの素敵な曲です。特に女性ボーカルによるものが良い。
 それはともかく。
 ここで取り上げたいのはその歌詞です。

  エ イホワー アトゥア,
  オ ンガー イウィ マートウ ラー・・・・

 ややなんじゃこりゃ。どう聞いても英語じゃない。
 これはNZの先住民マオリの言葉です。NZの国歌はまず先住民の言葉で始まる。もちろんラグビーの国際試合などで、独唱する白人ボーカリストも白人選手もマオリ語で大声で歌うわけです。
 次に英語の歌詞で歌うのが通例です。

 私の知る限り、白人が圧倒的多数を占める国でこんな例はない。ましてやNZといえばアメリカ合衆国、オーストラリア、南アフリカ共和国、そして中南米諸国等と同じく、ヨーロッパ人が移民(あるいは侵略)して作った国です。
 そんな国にしてこの、先住民への敬意。
 個人としてあるいは社会的倫理道徳としての敬意ではなく、国家のシステムとしての敬意。
 数ある“ヨーロッパ人による侵略国”の中でNZだけがなっぜこうなのか

オールブラックス(ラグビーNZ代表)のハカを知ってますか?

 NZは国旗でもわかるように英連邦の一員。つまり国歌としては英国国歌がすでにあった。これに“追加”する形で、あえて新国歌としてこの国歌が制定されたのが1977年。その前に“国民の祝歌”としての認定が1940年。この時点ですでにマオリ語の歌詞があったのかどうかは不明なのですが、これよりはるか以前に興味深い事例がある。
 NZにはハカという戦いの舞(ウォークライ)があります。日本のテレビCMなんかでも使われたことがあるので何となく知っている方も多いと思う。掛け声の一部が日本語の “ガンバッテ、ガンバッテ” に聞こえるあれです。主にラグビーの国際試合の前などにに披露される。

 もちろん先住民マオリの文化なのですが、ここでももちろんマオリ系と白人系がともに舞い叫びます。リーダーを務めるのはマオリ系。

 

ハカ
                                                                         オールブラックスのハカ

 
この習慣が始まったのは1905年のオールブラックスの英国遠征だという。
  ラグビーそのものはもちろん英国から白人が持ち込んだ競技なわけで、その競技の国際試合に先住民マオリの文化がこの時点ですでに持ち込まれている。100年以上も前だ。
 間違いなくこの時代にはすでに先住民への敬意と白人の側からの“同化”の意思がうかがわれる
 “マオリのようになりたい、マオリのようにこの試合を戦いたい”という意志の表れといえます。

 さらに最近ではハカは女子ラグビー、さらに他の競技へ、さらにさらに日常生活、結婚式,送別会・葬式・歓迎会等々どこででも舞われるといいます。まさにマオリの文化がNZ社会の文化に同化している。

女子ハカ
                            



女子ラグビーのハカ



マオリオールブラックスを知ってますか

 ニュージーランドラグビーには国代表のオールブラックスのほかにマオリオールブラックスという代表チームがあります。マオリの血を引く選手だけによる代表チームです。
 これは現代世界の常識からいえばとんでもないチームです。
 かつて米国では野球のニグロリーグがありました。メジャーリーグは白人だけのもので黒人の参加など認められず。黒人は別リーグでプレイしていたというわけです。黒人初のメジャーリーガーは1947年のジャッキーロビンソン。
 南アフリカ共和国などでも黒人が初めてラグビーの代表入りしたのはアパルトヘイトの白人政権が倒れてマンデラ政権の時、1995年南アフリカでのワールドカップが初めてで,それもたった一人。
 それまではやはり黒人や有色人種は別の場で活動していた。
 明らかに人種差別制度によるものです。
 そうした基準に照らせば“マオリオールブラックス”など完全に時代遅れの先住民差別のチームであるといえる。
 もちろんそれは誤りです。マオリオールブラックスに選ばれプレイすることはニュージーランドラガーにとって何よりの名誉だからです。だから中には外見どう見ても純粋白人だろうってような選手が選ばれマオリ代表として誇り高くプレイする。自分には確かにマオリの血が入っているのだってわけです。
 差別制度下での“代表”であれば、こんなことはあり得ません。


DMダミアン=マッケンジー この顔でマオリの代表

 こうした、ラグビー界を中心とした100年以上前からの“草の根”からの“マオリへの敬意”があって,この国歌の制定につながったとみるべきでしょう。ここで見られるのは、他の先進国の“先住民政策”のような“保護”でも“同化の強制”でもありません。

マオリとラグビーとの奇跡的幸福な出会い

 じゃあなんでニュージーランドだけが100年以上も前から先住民への敬意と憧れを持っていたのか。
 ごく大雑把に言って同じような経緯で建国されたオーストラリアなんか、人類史上最悪の先住民虐殺国家として歴史に名を刻んでいる。先住民の各部族は各地で絶滅していきました。
 
(いわゆる“アボリジニ”、現在は蔑視語として“アボリジニ”はあまり使われない。“アボリジナル”あるいは単に先住民といわれるという)
 そんな時代にニュージーランドマオリだけが白人からの敬意と憧れの対象となる。
歴史をたどればニュージーランドでも、初期の白人入植時代は他地域同様、合法非合法合わせて先住民の土地を収奪して、反抗するものは近代兵器で蹴散らす、と、他の白人入植地と同様の経過を経ている。
 それなのになんでニュージーランドだけがこうなったのか。

 1830年代に英国人のニュージーランド入植が本格化します。彼らは当然生活の一部として英国のスポーツを持ち込む。そこにラグビーという競技があったことはマオリにとって、さらにはNZの未来にとって奇跡のような幸運な出会いであったといえます。
 マオリに限らず周辺の島々、ラグビー界ではパシフィックアイランダー諸国ともいわれるフィジー・トンガ・サモアなどの人々にとってもラグビーはその民族性とすこぶる相性がいいようです。フィジーはリオ五輪で初採用された7人制ラグビーで金メダル、(全種目通じてフィジー初めての金メダルでした)、トンガは世界中のラグビー市場に選手を輸出、サモアはワールドカップでベスト8入りもしている。(当時の国名は西サモア)
 さらにマオリにはもともとラグビーに似たキオラヒという民族競技もあったという。
 そうした下地があったところである日、あるおおらかな英国人がマオリをラグビーに誘う。やらせてみたらこれがやたらうまい。ボールさばきランそして果敢なタックル。
 これがラグビーという競技の特殊性なのだが、自らの体をはって防御するタックルが強い選手はとにかく仲間から尊敬される。
 たちまちマオリたちは英国人入植者たちから仲間として尊敬を集めることになります。1880年代には白人とマオリが普通に一緒にラグビーを楽しんでいたといいます。
 そして代表入り、さらにハカへとつながることになる。
 さらにはこの幸福な関係が両民族の力を最大限に引き出し、小国ニュージーランドは最強のラグビー大国となっていく。
 ここまでは容易に想像でき、納得のいくストーリーでです。

 しかし、じゃあなんでオーストラリアでは同じことが起きなかったのか。オーストラリアに入植した英国人たちだって当然ラグビーは持ち込んだはずです。また“アボリジナル”だって、現在のオーストラリア代表での活躍を見れば民族的相性も良かったはず。アボリジナルはラグビーと「奇跡のような幸運な出会い」ができなかったのか。
 おそらくできなかったのだ。
 英国人のオーストラリアへの入植が本格化したのが1700年代後半、NZとは約半世紀の時差がある。さらには流刑地としての特殊性に加え、広大な大陸で金鉱が発見されゴールドラッシュとなる。        こうした “すさんだ熱気” という背景の中で英国人たちはそもそもアボリジナルを人間としてみていなかったようです。彼らにとってアボリジナルは土地を脅かす“害獣”であり駆除すべきもの、さらには駆除の必要性がないところでもスポーツとしてハンティングする獲物となっていく。
 “駆除すべき害獣”をラグビーに誘う人など現れません。

 こうしてオーストラリアにおけるアボリジナルの歴史をふりかえれば、改めてNZにおけるマオリとラグビーとの出会いが奇跡的幸運であったのがわかります。
 もしNZに金鉱でもみつかれば、あるいはNZに入植したのが野球やバスケを携えた米国人であったなら(歴史考証はナシ)その後のマオリとNZの歴史は全く異なったものになっていたでしょう。
 実際、NZの英国人たちだってサッカーやクリケットも持ち込んだだろうにマオリたちは見向きもしなかった。これは他のパシフィックアイランダー諸国も同様です。
 (現在のサッカーNZ代表を見てもラグビーと比べ、圧倒的に白人系が多い。ただ、それでもハカを舞ったりするのだが。)
 南米諸国にスペイン人ポルトガル人がサッカーを持ち込んでダントツ人気スポーツになったのとは対照的です。スポーツと民族的相性というのは確かにある。


 なんにせよこのニュージーランドの例、ラグビーを媒介として築かれた白人と先住民との幸福な関係、は世界の白人社会の中にあってあまりにも特殊すぎて100年以上世界に広まることも、少しの影響を与えることもなかったといえます。
しかし。


南アフリカ共和国の国歌を知っていますか


 1994年、アパルトヘイト(人種隔離政策)を掲げた白人政権が国際的圧力により退陣します。
 そして初の全人種参加の普通選挙により、27年間の獄中生活から釈放された黒人のマンデラが大統領に就任しました。27年間!
 世界中の多くの例ではこういう場合、“報復政治”が開始されます。黒人は人口的にも圧倒的多数を占めるわけだからやろうと思えば簡単です。民主的多数決で何事も決めればおのずと黒人優先の政策になる。しかしマンデラはそれをしなかった。
 象徴的なのが新国歌の制定です。マンデラ政権は白人政権時代の国歌を廃止せずに、以前からあったアフリカの黒人解放を歌った “神よ、アフリカに祝福を” と合体させました。ここに前半は先住民の言葉、後半にヨーロッパ語から派生したアフリカーンス語と英語で歌う南アフリカ共和国の新国歌が誕生します。この構成はNZ国歌にそっくりです。正確には合わせて5つの言語で歌われます。もちろん先住民の言語の部分でも白人もともに大声で歌います。この光景もNZ国歌斉唱時にそっくり。
 マンデラの人間性が“民族の対立ではなく融和を求めた結果なのだ”といってしまえばその通りなのだけれど、私はやはりこの国歌もこれに象徴される融和政策もNZの影響であるとしか思えない。ニュージーランドという成功例を現実に目の当たりにしたからこそである、と。

 現代史上最悪の人種差別国家である南アフリカ共和国と、現代史上最上の人種間融和国歌であるNZがともにラグビーを国民的スポーツとし、世界の2強ともいえる位置にいるのは歴史の皮肉です。いや今となっては歴史の幸運だったといえるかもしれない。
 まだワールドカップがない時代、ラグビーの国際試合といえば、代表チームの長期遠征でした。世界の2強だった両国は互いに遠征をしテストマッチ(国代表の公式戦)を繰り返していた。しかし1948年に南アフリカで“アパルトヘイト”が施行され人種差別が“合法化”されると両国のラグビー交流もドタバタ化してゆきます。
 なにしろアパルトヘイト法では異人種間のスポーツ交流は禁止と明文化されたりしているわけです。
 このように人種政策・民族政策では両極端の両国ですが、一方で強い相手と対戦したいのは競技者の本能でもあります。で、起こったことといえば、南アはNZに、白人のみの代表(マオリ抜き)での遠征を要求する、NZ協会も試合やりたさでついこれに応じてしまう。これに対しNZ国民からは大ブーイグ、これに懲りてNZがマオリを含めた代表派遣を決定すれば、南アはマオリを“名誉白人”としてつじつま合わせをする。これに対し南アとのスポーツ交流を禁じていた国際社会は激怒。特にアフリカ諸国はモントリオールオリンピックボイコットへと発展します。  

 そんなこんなのごたごたの中、はっきりしているのは、現実の交流・試合があろうとなかろうと、南アの隣には常にNZが存在していたという事実です。マオリの代表入りにこだわるNZ、試合前にハカを舞うNZ、そして1977年以降は白人もマオリ語で国歌を歌うNZが常にすぐ隣にあった。
 マンデラ達、良心的南アフリカ人たちは当然こう思ったでしょう。
 “いつか我らの南アフリカもこういう国にするのだ。先住民と白人がともに尊敬尊重し、文化も国歌も分かち合う国に”と。
 こうした思いがマンデラ政権で一気に開花したと考えるのは決して不自然ではないでしょう。

ムタワリラ








テンダイ=ムタワリラ
南アフリカラグビーの国民的人気者
彼がボールを持つと観衆が“ビースト”と叫ぶのがオキマリ。
もちろん白人も一緒に叫ぶ。





ラグビーオーストラリア代表(ワラビーズ)の新ユニフォームを知っていますか。

 去年10月のニュージーランド・オーストラリアのラグビー定期戦(ブレディスローカップ)において,
ワラビーズの新ユニフォームが披露されました。そのデザインはアボリジナルの伝統模様(おそらく入れ墨)をモチーフにしたものでした。さらに試合前地元市長のスピーチはブーメランを手に先住民の言葉を交えて行われ、先住民が長年ワラビーズに貢献してきたことをたたえるものだった。
 少しでもオーストラリアと先住民の歴史を知るもにとっては涙なしでは見られないシーンでした。
 その上試合結果はオーストラリアが勝利!2015年以来、対NZ6連敗中だったのに!2017年の第2戦は8トライを取られる惨敗だったのに!
 これって完全にアボリジナルジャージの効果なんじゃないんだろうか。NZの歴史と同様、幸福な関係は最大限の力を引き出す!


ワラビーズ
                   ワラビーズの新ジャージ

 残念ながらこのユニフォームは一回限りの記念ジャージだったようだが。
 なんにせよオーストラリアの白人社会にも100年以上遅れてNZの思想が影響を及ぼしたということでしょう。オーストラリアもラグビー強国としてやはり何度もテストマッチを経てハカやNZ国歌を目の当たりにしていますから。
 その上“結果”も出してしまうなんて!

 異民族憎悪は決して人類の本質なんかじゃない。 
 NZは100年以上、確かに特殊な社会だったけれども、その異民族融和の精神は南アフリカとかオーストラリアとかに、ラグビー文化とともにホンの少しづつだけど広がりを見せています。 

<オマケ> 
 NZにおける少数者への敬意・尊重は決して民族関係だけにとどまっているのではない。      
 NZの公用語は英語とマオリ語とそして手話!
 つまり公共の場所ではこの3つの公用語が表示されることが法的に義務付けられているのだ。
 少数派への何たる敬意、尊重!
 また最近ではNZの女性首相が産休を取り議場での授乳が認められたことが話題になった。こうした事例もこの流れの中にある、と私は考える。
 百数十年前のマオリとラグビーの奇跡的幸福なな出会いがNZ社会にここまで影響を及ぼしている。

〈続報〉
この記事を書いた翌年3月、NZクライストチャーチで銃乱射事件が発生。
犯人は「白人至上主義」のオーストラリア人だった。NZの「異民族融和社会」が許せなかったという。だがNZ社会は負けない。事件後のNZ人、NZ社会の行動がまたすごい!
やっぱニュージーランドの「異文化尊重精神」は桁外れだ。
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クライストチャーチ追悼集会にアーダーン首相は自らイスラム式のスカーフをまとい演説。

「預言者ムハンマド、平和が彼の上にありますように。(しかもたぶんまずアラビア語で!)」
キリスト教徒(であろう)首相が普通こんなことは絶対言わない。
参加者はイスラム式に膝をついて礼拝・追悼。
各国女性首脳や夫人がイスラム圏の国でスカーフをまとうことはある。だがキリスト教圏の首脳が自国で「異教徒」の形式に倣うなんて聞いたことが無い。
キリスト教西側社会からは「そこまでするな」との批判も寄せられているという。だがNZではこれが当然のように受け入れられる。
フランスなんかブルカやブルキニ(ムスリム女性用の水着)の着用を法律で禁止したりしているのだ。
そして地元高校生による先住民の舞「ハカ」による追悼。
繰り返しになるがニュージーランドの「異文化尊重精神」はホントにすごい。



                                         ひつじ2











 




 


          
なんかNZならありえそうな気がしてきませんか。
 
<追記1>

 ただし、“みんなでNZを見習えば世界は平和になる”というようなノーテンキな精神論・根性論を言っているのではありません。念のため。

 <追記2>
 ただしNZといえど決して“地上の楽園”ではありません。現実社会の中で卑劣な人間はどこにもいて“マオリ差別”とも言える事例が少なからず存在していることは事実としてあるようです。念のため。
  例えば養護施設で暮らす子供の人口比はマオリの子が多く、またその中でも里子や養子として迎えられる子も、外見“白人系”の子が優位に立つとか。
こうした「現象」はマオリと白人系との間の「経済格差」「雇用格差」「教育格差」の反映と見るべきでしょう。

<追記3>
 南アフリカでもアパルトヘイト廃止から20数年、「融和政策」により白人の大土地所有などが温存されたため、人種間の「貧富の差」が温存され格差が固定してしまったことが問題となっているという。


 この記事で記したことはすべてまぎれもない“事実”ですが、物事には同時に常にそうした“負の側面”もある事は記しておきたい。
 世の中にあふれる多くの“情報”の中には“自分の思想信条”に都合のいい側面だけを紹介してジャンジャン、てやつがあふれているようです。世の中そんなに単純じゃない、ってのが私の信条でもあります。